時は中学2年。
陸上部で走幅跳やリレーをしながら、土日は小学一年生から続けているリトル・シニアの硬式野球をしていました。
中学2年の春休みに野球が急につまらなくなり辞めることになりました。自分が幾ら活躍できても周りがついて来なければ勝てないなんて面白くないと思った為です。ばりばり反抗期でした。
それからは陸上1本で取り組み、市大会で賞が獲れて喜んでいた記憶があります。
中学3年になると進路で悩みました。陸上がそこそこ強い高校に行きたい気持ちがありました。
親元を離れて高校に通っている先輩から「陸上を続けるならうちの高校に来たほうがいい」と誘われて親と相談した結果、その高校に決めて受験も合格しました。因みにその高校の陸上部は強豪です。(市大会で喜んでいるレベルじゃないと言ってやりたい)
高校は寮がないので一人暮らしで中学上がりの人間が家事をこなさなくてはなりません。
何もかも1人ですることに最初は苦労しました。幸い、夕食は近所のお店が自分の為に出してくれるように顧問の先生が手配してくれたので非常に助かりました。
練習の辛さは野球でしごかれていたので驚きはなかったけれど礼儀やルールが想像の100倍厳しかったし、何より周りのレベルが高くて自分が食物連鎖の最下点にいるようでした。
専門としたい種目も定まっていなかった為に8種競技から始めましたがどの種目も初見レベルで周りから観られるのが非常に恥ずかしかったです。(陸上は個人競技だけれどチームの足を引っ張っている感じがした)
そんな思いをするたびに「強くなる為に来たんだ、絶対強くなる」と噛み締めました。
ギリギリ県大会に出場して、県大会の順位は下から数えた方が早かったです。
悔しさをバネに夏の試合がない期間は必死に食らいついて秋には大分技術もついて陸上っぽくなって行きました。
恐らく一人暮らしと圧倒的な敗北感が重なって必死さが出てきたんじゃないかと今になって思ってきた。「何しに遠いところから来たんだ!」って言われたくはないから。
続