手術

治療の経緯を発信

手術します⑥

大学進学

 

大学まで続けていると高校以上にレベルが高い。

大学は自分で考えて行動することが多いから高校のときのように言われた事だけやるほど簡単ではない。

なかなか闘志が燃えなかったけど仲間がどんどん成長しておいていかれる危機感から再び燃えた。

7月には念願の60mを超えて62mを投げられたし、そのあとも60付近を彷徨って、シーズン最後の競技会ではファールだけど65mまで飛ばすことができた。

それが1ヶ月前で記録を残せていたら18歳以下の日本選手権である日本ジュニアに出場できた悔しさがあって、その後の冬季練習のモチベーションにつながった。

 

2年生

大学は標準記録を突破しないと大きい大会に出れない。突破しても部内で3人までなのでそれも超えないといけない。

4月

シーズン初戦から62m、63mとベストも更新してきたところで肘に痛みを感じた。

肘の痛みは今まで経験してきだけど今回の痛みはおかしくて病院に行きたくなった。でも1週間後に最後の選考が残っていたので無理やり出場した。力が全く入らなく50m台という結果で先輩に最後の1人を取られた。

 

 

病院で診てもらった所、肘の靭帯を切っていた。

この状態でも行けるという事だったが、痛みで投げられず、標準突破している試合も出られなかった。

 

切れているのに前より投げられるはずがなくて結局手術を2年の10月にした。

 

この手術をしたら半年位は万全には戻らないとのことで、もう3年生で関東インカレには出場できない事が確定した。最後の4年生でかけるかという悔しさの中、1から体の弱いところを治していった。

思うように練習ができないイライラで三角巾で腕を固定したままスクワット150kg担いだときは、スカッとしたわ。

 

治療のために片道1時間半もかけて病院に行った。治る為ならそんなのどうでもいい。

今まで蓄積した知識や経験を怪我で終わりにはしたくない。

やりたい事ができない状態が長期間続くと鬱っぽくなって生きている気がしなくて死にたいと思う時もあった。

そんな状態を助けてくれたのが筋トレだった。

動かせるようになってきた腕を軽い負荷で追い込むのは1日の中でめちゃくちゃ楽しかった。

治ってきた実感とやりがいが良かった。

 

3年

7月

手術からだいぶ経って調子も戻ってきたところで膝を痛めた。

やり投選手ならわかると思うけどチューブでのイメージ練習で右足を回しながらCカーブを作るやつ。

右足に体重をかけて股関節から内側に入れていくのを繰り返していたら痛くなった。今までは痛くなっても何日かすれば良くなったけれど今回はそうはいかず2ヶ月たって病院にいった。

 

病院では半月板が少しだけ切れているけどスポーツ選手ならこのくらいは誰にでもあるくらいだから大丈夫だと言われました。

 

色々治療されているうちにラストシーズンの冬季練習が全然できなくなっていて、これで一発逆転なんてありえるのかと心配になっていました。それでも当時はやり投のパート長で全体を指揮しなければならない立場だったので、弱音なんて吐いていられなくて、復帰を目指しながら仲間が結果出せるように練習メニュー作りも凝った。

 

4年

5月

膝は一行に良くならなく、最後の関東インカレを審判をして終えた。

結果を出してくれて嬉しい反面、同期が怪我だらけで自分が目指していたものとは全然違った。

トップが怪我して出られないなんてダサすぎる。